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2013年11月 4日 (月)

「生誕百年記念 今井満理展」とウーマノミクス(第700回)

「生誕百年記念 今井満里展」とウーマノミクス(第700回)

 記念すべき700回をどんなテーマで書こうかな、と考えた。またいつものように何の映画をイントロに使うか、も。

 いろいろ考えたが、私の母・今井満里の「生誕百年記念展」がこの11月7日()から10日()まで、さいたま市浦和区の埼玉会館で開催される。どうぞ案内をご覧下さい。

 私はこの母の息子であることを誇りにして生きてきた。私の何でも見てやろう式の好奇心の強さ、仕事への粘りなどなど、欠点も含めて性格は間違いなく母の遺伝だ。また反逆精神も。

 

 母満里は祖父今井松堂(弥三郎)の弟子で、同じく弟子で養子だった父博と18歳で結婚。当時祖父は東京江東区深川に住んで書塾を開いていた。父母は姉と妹二人、それに私を生んだ。

 昭和20年3月10日の東京大空襲で深川から浦和に転居した。

 戦後、母は月水土は書塾を開いて教えた。月水金は埼玉県庁の秘書課に勤めて知事の代筆をしたり、人事発令のシーズンになると徹夜して働いた。まだ小学生だった私は何とか助けたかった。父は食糧関係の公団にいたが昭和20年代、50前で失職し書塾のいわば経理・総務をしていたから。浦和は大拡張期で子どもは多く、しかも書道は必須になったから大繁盛した。

 そこで浦和の外れから市の真ん中の高級地に新築し稽古場の広い家へ。私は浦和高校2年生だった。昭和28年。

 

 この年以降、母満里は伝統的な書道に反旗を翻して現代書を書き始める。既成の書壇社会から脱退し、少数の同志と「前衛書」を始め、のちには完全な一匹狼になって活動した。

 

 このあたりから海外での書展が毎年のように開かれ、米国の有力写真誌「ルック」で著名写真家カール・ベンステティーン氏が母を世界に紹介した。井上靖さんと中国の敦煌に行ったり、曹洞宗大本山永平寺に屏風を献納したり。まあ元気に大活躍を始める。

 

 母の作品は豪放で、どうしてあの小さい体でと思うくらいだが、それでいて暖かい魅力的な書だ。彩拓という拓本の手法で白と黒だけの世界から脱して、いろんな色を使うなど何でも試した。

 

 平成7年8月に母は82歳で永眠したが、いまでも私には「キヨシ」と呼びかける声が聞こえる。今回の展覧会で私も久しぶりの作品を観たら、声は何と言ってくれるのだろうか。

 

 私は第698回、10月19日のこのブログで、安倍政権のウーマノミクス重視と関連銘柄五つをご紹介した。

 子育て視点最大手JPホールディングス(2749)②女性が働くためには老人介護のツクイ(2398)③病院内の保育所受託サクセスホールディングス(6065)④女性の社会進出援護の清掃用具レンタルのダスキン(4665)⑤食材宅配のヤマトホールディングス(9064)

 ダブって書いたのは前回コードナンバーなどミスプリが多かったから。すみませんでした。

 

 10月31日のホテルオークラでの「女性が活きる成長戦略のヒントVOLⅠ 2030プロジェクト」の出版記念パーティはすごい数の出席者だった。90%は男性だったが。

 

 小池百合子さんを含めこの本を書いた女性議員さんが次々とあいさつ。司会進行は三原じゅん子議員が務めた。石破茂自民党幹事長が招待され女性議員側の要望書を聞かされ、承諾のあいさつも。この席で早くもVOL2の出版が近いと公表された。成長戦略の切り札として今後とも重視されることは間違いない。

 

 故三原淳雄氏が「イマイさんはマザコンだ」と言って、秘書がとなりから「そんな失礼なことを先輩に申し上げて」とハラハラしていたのを思い出す。戦後、父の失職時代に母が働かなければ今井家は一家皆、飢え死にか心中だったろう。しかもセクハラが当たり前の時代に、どんなにつらかったか。私は死ぬまで忘れないだろう。

 

 今回はいつも「相場や経済のコメントはありません。まあ700回に1回ぐらい、大目に見てください。

 20/30にいまる、さんまるというテーマそのものが、本当に画期的なことと考えていることは間違いありません。


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